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第27回公演「筋肉少女」東京・大阪公演決定
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2014年7月25日金曜日

大田王 2014ジゴワット back to 2015

暑中お見舞い申し上げます 
蝉時雨、木陰の涼風と今年は自分が子供の頃の爽やかな夏の気がしています。それは彼を送る朝だったり天神さんの楠だったりします。ドームへ向かう淀川の草っパラは蒸し暑いのですが、靭公園の並木道は贅沢な癒しを思います。
さて。大田王と云う名の大人の夏祭りが終わりました。祭りのあとは物寂しいもので、あの時の熱が高けりゃ高いほど寂しさも大きいものです。ABCホールの山村艦長だから可能にした復活劇。大規模なプロデュースを企画して頂いた艦長には拍手を惜しみません。市朗さんも大洋さんも後藤さんも、このタイミングでよく再結成していただいたと思います。そして楠見さん久保田さん腹筋さん土田さんも参加しての今年の大田王だった。最年少の僕は頼もしい先輩に囲まれ久しぶりにぺーぺー気分だった。大洋さん作品で土田さんとヘンテコ応援団員をやった時は台詞を言っては引っ込む度にウケた反応にこぶしを握ったり噛んだ台詞に苦い顔したりで頼もしい兄ちゃんだった。楽屋でも、稽古場でも、土田さんは喋りつづけた。雑談を惜しみなく喋ったいた。おそらく気を遣ってのことでなくあれが自然体だと思う。場が明るくなる先輩だった。ペリエペリエ。腹筋さんも楽屋で席が隣でいろいろお話しできた。意外と知らないヒストリーを教えてもらったりした。腹筋さんも放っておいてもお喋りしている人だった。そこに大洋さんもいて楽屋は常に賑やかでした。大洋さんが僕の声優ネタで初めて台詞をとちった後に楽屋でダンス衣装に着替える時スゴく悔しがっていたのが可愛かった。大先輩なのに可愛いと思えるのはアグレッシブな姿勢を貫いてるからでしょう。大洋さんがその昔そとばこまちでブームの一員となり、退団以降独自の活動で関西を繋いで、今があると思う。市朗さんが後藤さんと出逢ったのも大洋さんがM.O.P.に客演したりしていたからだ。遊気舎に大洋さんが出なければpiperもなかった。G2プロデュースの豪華客演の繋がりも必要だろうけど、川下大洋さんの跡にできた道は、関西の演劇を軽やかにされたんだ。
十数年ぶりの市朗さん。ご無沙汰だったし不義理な気持ちだったけれども最初に集まったチラシ用スチール撮影の時も気さくに接してくださったし、稽古場でもあの時みたいにしてくれた。明晰な現場への突っ込み、指摘は流石だった。打ち上げでこのメンバーが今回のベストだよと言ってくれた。さらりと。
後藤さんは当時僕が劇団を辞めて正一ショーに専念した頃に沢山の助言を頂いた。後藤さんは常に演劇シーンを想っている。昔からずっとそうだった。僕は後藤さんに謝らなければいけないことがあって、それを今回伝えられるかと機会を伺っていた。でもそれはできなかった。そしてそれは言葉にしなくてもよいと大田王の数週間で想ったし、感じた。次だ次だ。そうだ。うん。

若い方には、アレルギーを起こしたかも知れない大田王。緩さが必要だと。脂肪を摂らない身体もいいとおもうけど。
あの日、1500人の客席は大田王をどう観たんだろう。グリーンデイのファンがストーンズを観たような?55号のコントを、、、

また逢えるのか また逢う日まで 歩んでいこう

みなさんありがとうございました 

もっと振返りたかった 大田王でした

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